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「ちょっと教えて君」
関係者が多い大きなプロジェクトは業務分担が非常に曖昧になる。情報も業務も一部に偏っていく。業務で困るのが「ちょっと教えて君」の存在だ。
ちょっと知りたいから、気になるから、もう少し具体的に教えてください、調べてください。その「ちょっと」の積み重ねは、いつの間にか無視できないレベルに膨れ上がる。
他人を助けても恩は返ってこない
悲しいかな。この「ちょっと」の対応をしても大抵はお礼すらない。
肌感覚だが、お礼を言う人は全体の20%だろう。特に年齢が高い方がお礼を言わない傾向にある。ありがとうも言えない社会人が沢山いる会社ってどうなんでございましょうね。
しかも一度情報を展開するとそれがまるで当然の業務の如く、「では次はこれを調査してください」と追加依頼する者まで現われる。極めつけは、正式な業務担当の如く「例の件、早く回答してください」と催促する輩まで現われるから手に負えない。
恩返しを期待しているわけではないが、さすがにこの状態が続くと対応するモチベーションも下がってしまう。
チームワークという言い訳に卒業する
「ちょっと教えて君」は相手にしなくていい理由
誰かの役に立てばそれが積み重なり組織運営が円滑になる。お互い支えあうことでチーム力が相乗効果で活性化される。そう思って「ちょっと教えて君」対応をしてきたが、冷静に振り返ってもそんなことはなかった。
なぜ組織の為にならないのか。それは「ちょっと教えて君」は教えてもらったらそれまでで、そこで業務が完了するからだ。自分へのインプットばかりに躍起になり、自分からのアウトプットがない。その人に教えたことが新しく何かの形で表に出ることはない。
大抵は本人がちょっと理解した気になり、納得感を感じて終わり。組織に反映されることはないので、組織運営が円滑になることも成果につながることもない。
他者へのお礼も、その人のアウトプットの一つ
他人へのお礼もある意味「自分から他者へのアウトプット」。お礼を下さるマイノリティーな方は確かに業務にフィードバックするなどの一定の成果は出している。まぁ、マイノリティーですが。
自分を雑に扱う人とはすぐに離れた方がいい。
スルーする力を鍛える
無理にメールに返信せず、スルーすることにした。
本当に困っているのなら適切なプロセスで適切な依頼が来るであろう。自分の時間は自分のために使う。お礼すら言わないおじさん達を助ける時間は、申し訳ないが私は持ち合わせていない。
雑に扱われることに慣れすぎていた。自分を大切にしてくれる人は必ずいる。離れる勇気を持つことにする。